はじめまして。村人Aと申します。
立ち寄っていただきありがとうございます。
駆け出しの放射線科医師です。
浪人もして、再試験の常連で、ひとりぼっちでスタートして。
ずいぶん廻り道をしてきました。
最近、結婚をして娘を授かりました。
娘の夜泣きと妻の視線に怯えつつ、育児に奮闘しております。
「村人A」という名前は、派手さもなければ強さもない、
どこにでもいそうな名もなき人のひとりとして
自分の足元を振り返ってみようと思ってつけました。
大きな実績もなく、うまく言葉にできないことも多いけれど、
同じような毎日を過ごしている誰かと、静かにつながれたら嬉しいです。
思い返すと明確なきっかけがないかもしれません…。
国家試験を越えて、医師としての人生が始まったとき、
目の前には選択肢がたくさんあるはずなのに、
自分がどこへ向かえばいいのか、まるでわかりませんでした。
灯のない真っ暗な道を、ただもがいて歩いていた。そんな気がします。
そんな日々の中で、自分が何を感じて、何を考えていたのか、
ちゃんと残しておかないと忘れてしまいそうだなと思いました。
これがきっかけかもしれません。
誰かに教えたいわけでも、張り合いたいわけでもなくて。
同じように迷いながら歩いている誰かが読んで、少しだけでも安心してくれたらいいなと。
ここには、そんな村人の日々の記録を置いています。
仕事のこと、育児のこと、お金の勉強のこと。
思いつくことを書けたらいいなと思います。
振り返ると廻り道ばかりの人生でした。
複数年の浪人を経て、ようやく医学部に滑り込みました。
何度もくじけかけて、周囲に置いていかれるたびに、
「あと一歩」と信じて、しがみつくように受験を続けていました。
やっとの思いで入学したものの、待っていたのは遊びと部活の日々でした。
…楽しかったんです、すみません。
勉強をなかなか頑張ることができなくて、どうしても逃げてしまう自分がいました。
当然の結果として再試験の常連に。
国家試験半年前の偏差値は…平熱でした。
それでもなんとか卒業して、国家試験にも合格できたのは、
気にかけてくれた友人たちの支えがあったからだと思っています。
研修医時代を経て放射線科を選び、いざ現場に出てみると
周囲に比べて知識も技術も足りない。しかもひとりぼっちのスタートでした。
何度も心が折れそうになりました。というか折れてました。
こんな自分を「すごく頑張ってた」とはとても言えないけれど、
「それでも、なんとか前向いて歩いていた」とは、今なら思えます。
放射線科に進んでからも、その調子は変わりませんでした。
画像診断やIVRに向き合う日々。わからないことばかりで、
先生方にたくさん教わったのに、抜け落ちていきました。
言われたことも何回やっても出来るようになれない。
自分のふがいなさに、ため息をつくことばかりでした。
それでも、ほんの小さな変化が毎日のどこかに落ちていました。
昨日わからなかったものが、今日は少しだけ輪郭を持って見える。
そんなごく小さな手応えだけを頼りに、ここまで歩いてきた気がします。
いまも全然うまくやれているとは思いません。
でも、歩くことをやめようとは思わなかったです。
不格好でも、転びながらでも、前に進もうとしていた。
それだけは、自分を少しだけ認めてあげてもいいのかな。
最近ようやく思えるようになりました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
泥臭く、迷いながら歩んできた人生だったなと思います。
こんな村人でも、毎日をなんとか過ごしています。
仕事のこと、育児のこと、お金の勉強のこと。
うまくいかない日の方がずっと多いけれど、
それでも少しずつ、ここに記録を残していきます。
道しるべを探して歩いている誰かと、どこかで静かにすれ違えたら、それだけで十分です。
村のすみっこから、今日も書いていきます。